以前、このブログでも言及したインターン生の受入期間が9月末で終了しました。8月の受け入れ開始前後から急に忙しくなってしまい、はたして学生に有用な経験と情報を提供することができたかどうかはあやしいところですが、議員の活動とはこういうものだということは少しはわかってもらえた(議員活動の実際はこのブログでもまた別の機会に書きたいと思います)、いろいろな人と接することができたのは、就活や営業で役に立つ「人慣れすること」の一助となったのではと自分自身を納得させています。
未来国会
インターンの学生は期間中、政策プレゼンイベント「未来国会」にも参加しました。このプレゼンイベントは極論をいっていいものです。彼らのテーマは「参加型の民主主義の導入」。裁判員裁判制度的なかたちの国民議会があってもいいんじゃないか?という提言でした。
残念ながら優勝することはできなかったのですが、大勢の人の前でプレゼンすることも初めてだったでしょうから、これもいい経験になったと思います。審査をする側に学生が多かったことを考えても、プレゼンでは、多分にその振る舞い、しゃべり方やボディランゲージ、佇まいといったものが重要視されるということも理解できたのではないでしょうか。
インターン生が提案したシステムは、衆議院の代わりに裁判員裁判制度のようなかたちで作った国民議会をつくり抽選で選んだ有権者を参加させようとするものです。実現は難しいですが、言わんとしていることはわかりますし、そのエッセンスはまさに「熟議民主主義」という概念のものでした。
熟議民主主義
参加型の民主主義というはなしと方向性として似た概念に「熟議民主主義」というものがあります。「熟議民主主義」とは政治的平等に慎重な議論を組み合わせたもの。政治的平等としては市民の政治参加が重要ですが、この政治参加にはみなさんご存知のとおり、多くのゆがみが存在します。そもそも、ひとことに政治参加といってもいろいろな方法があるうえに、たとえば政治集会や政治活動への参加は、時間や熱意がある人に偏りがちであったり、投票についても義務投票制にしないかぎり、必ず民意のゆがみが発生するはずです。
その他にもマスメディアが絡んだゆがみなど、多くのものが存在するのですが、そのようなゆがみを解消するためにも、熟議民主主義という概念においては、たとえば統計的に考えられた人数を無作為抽出で選び、綿密な議論をしてもらい、何かしらのテーマまたは課題に答えを出す、もしくはそれを熟考された世論調査として提示し実際に政治に影響を与えうるようにするといったかたち等をとります。また、熟議民主主義はトクヴィルやミル、オルテガも論じた「多数決の弊害」を防止する側面もあります。
『人々の声が響き合うとき:熟議空間と民主主義』(ジェイムズ・S・フィシュキン著) によれば、熟議の質を示す5つの指標が論じられています。1.正確な情報が参加者にどれほど提供されているか 2.ある意見に対し、ほかの見解を持つ人々からどのくらい反論が寄せられるか 3.社会のなかにみられる主要な意見が、議論の中で参加者によりどれほど提示されるか 4.参加者がどれほど真摯に意見の是非を吟味するか 5.すべての参加者の意見が、発言者が誰かによらず、その発言自体がどれほど検討されるか
かたちはどうあれ、このエッセンスをとりいれた仕組みを考察すると、従来の議会、議員はどうあるべきかを考えさせられます。正確な情報をどのように担保し、また参加者全員にそれは行き渡っているのか。はたして本当に全員が平等に議論に参加できるのか。そもそも議論はなされるのか。これらの熟議民主主義の問題や仕組みを考察することは、特に地方議会において重要だと感じます。
市民討議会の開催
さて、その参加型であったり討論型の民主主義という概念ですが、市民討議会や市政懇親会といった場で有効に活用することができると思います。来月、四日市青年会議所が『市民会議〜みんなで考える街の未来〜』といったイベントを開催するようです。どのようなかたちをとり、どのような結論にみちびく仕組みをとるのか。非常に興味があります。わたしも何らかのかたちで市民討議会のようなイベントに関わっていく予定です。時期が来たらこのブログにおいても紹介していきますので、その際はみなさまのご協力をよろしくお願いいたします。